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マレーシアで日本語教育に携わった私が辿り着いた、地域共創という仕事

窓から差し込む自然光の中で、廊下に立ち微笑む女性

アジア各地の中学校や高校などで、現地の日本語教師のアシスタントとして日本語授業のサポートや日本文化を紹介する国際交流基金(JF)の取り組み「日本語パートナーズ(※)」。大学3回生のときにマレーシア4期として、マレーシア最北端のプルリス州に派遣された宮川凜さんは、現在、南海電気鉄道株式会社で沿線に住む外国人たちとの多文化共生のプロジェクトに携わっています。10か月間の現地滞在で得たものとは? 日本語パートナーズを経た後のキャリア形成について話を聞きました。

※JFが2014年から開始した「日本語パートナーズ」派遣事業では、20歳から69歳までの日本国籍の方であれば特別な資格や経験がなくても応募でき、これまで約3700人が14か国・地域に派遣されています。


京都・二条城の建築に魅せられて、
日本の文化に心酔した幼少時代

――いつごろから国際交流に興味があったのですか?

宮川:私は帰国子女で幼い頃はアメリカに住んでいました。7歳で初めて日本に帰国し、京都の二条城の前を車で通ったときの感動を今でも覚えています。街並みも美しくこんなに素晴らしい建造物と文化がある国が私の母国だと思うと、とても嬉しくなりました。その時からもっと日本のことを知りたい、日本の魅力を世界の人に伝えたいと思うようになりました。

その後、大阪大学の外国語学部日本語専攻に入り、ゼミの先生から「日本語パートナーズ」の取り組みを教えていただきました。3回生になると海外留学をする学生が多い学部で、わたしは語学留学よりは日本語や日本文化を教えることができ、何かプラスアルファの経験ができそうな日本語パートナーズに興味があり応募しました。

――マレーシアを選んだ理由は?

宮川:マレー系、中華系、インド系などが中心の多民族・多文化・多宗教国家でありながら、うまく共存している国なので興味がありました。日本語パートナーズではマレーシア4期として、大学3年生の時に休学して約10カ月間、タイとの国境に近いプルリス州に派遣されました。

教室で机を囲み、書道の授業に取り組むマレーシアの中等学校の生徒たち マレーシア北端にあるプルリス州。書道の授業で筆を手に日本語に触れる中等学校の生徒たち。写真提供:宮川凜さん

マレーシア滞在で再確認した
自分が進むべき道

――現地ではどんな活動をされましたか? 印象に残るエピソードを教えてください。

宮川:私は、現地の日本語教師のアシスタントとして授業のサポートを行いました。担当したのは小学校高学年から中学生で、日本語ネイティブとして発音の手本を示したり、日本の魅力を伝えたりしました。最初に日本のどんなことを知りたいのかアンケートをとったところ、日本のアニメやゲームなどに興味がある生徒が多いのではないかとの予想に反して、技術大国としての日本に憧れがあり、仕事に興味があることがわかりました。将来、理系の職業に就職したいという声が多く驚きました。

嬉しかったエピソードは、学校に着いた初日のことです。廊下を先生と歩きながら(廊下の)向こう側にずらっと待つ生徒たちに手を振ったら歓声が上がったのです。マレーシア最北端に位置するプルリス州は、首都クアラルンプールからマレーシア国鉄(KTM)の急行列車で約5時間もかかります。外国人があまりいない地方都市で田舎でした。珍しい外国人だから余計に歓迎してくれたのかもしれませんが、人々のフレンドリーさや明るさに感銘を受けましたね。

――10か月間の経験によって、ご自身の職業選択や価値観に変化はありましたか?

宮川:好きな日本文化を発信する仕事がしたい気持ちがより強くなりました。私が就職活動をしていた時期からインバウンドが潮流としてあったので、日本に住みながら海外の方に向けて情報を発信する仕事を希望しました。旅行業界などの情報収集をしていくなかで、すでにある観光素材の魅力を発信する旅行会社よりも、商業施設の開発など自分で何かを「作る」ことができる不動産関連事業を行っている鉄道業界に魅力を感じました。南海電鉄を志望したのは、その沿線にまだまだ開発の余地があり、関西国際空港と大阪の難波を結ぶ特急ラピートを運行しているため、国際的な分野の事業にもこれから可能性がある企業だと感じたからです。

教室で記念写真を撮る、笑顔の先生と中等学校の生徒たち 派遣期間終了前、最後の授業の後に撮影した生徒たちとの思い出の一枚。写真提供:宮川凜さん

鉄道会社の多文化共生プロジェクトで、
日本文化を「伝える」スキルを活かす

――その後、南海電気鉄道(南海電鉄)に入社されました。いま在籍されている共創事業部のお仕事について教えてください。

宮川:一つは南海沿線でものづくりをされている中小企業の生産現場を、見学したり体験したりしていただく産業観光(オープンファクトリー)に、海外の団体を誘致する活動をしています。具体的には海外の経営者の団体や大学のゼミの視察旅行で日本のものづくりについて学びたいという方を対象にしています。そのほか、2024年には世界遺産登録20周年を記念した高野山の観光プロモーションにも携わりました。この事業は高野山をどう楽しめるのかといった観光客の声に応えたもので、山内の寺社仏閣や飲食店、お土産店など約30〜40カ所を紹介するウェブサイトをつくりました。

山に囲まれたローカル駅のホームで、記念撮影をする若者たち 南海沿線の和歌山大学とファーストスタディ日本語学校の留学生、日本人学生の交流を目的として、同社が主催した「秋の合同遠足」。写真提供:南海電気鉄道株式会社
――沿線の価値を高めるための施策として、「外国人との共生」という戦略のもと、サステナブルなまちづくりにも取り組まれているそうですね。

宮川:南海電鉄では外国人が日本人とともに定住しやすい沿線であるために、3つの「しょく(職・食・触)」をテーマに掲げています。一つめの「職」は外国人向けの職業支援です。外国人留学生の就労サポートに取り組む福岡県にある団体と沿線の企業情報を持つ弊社が連携しながら取り組んでいます。二つめの「食」では、金剛駅近くの集合住宅にネパール人が増えており、自国のスパイスや調味料など食材の調達ニーズがあることから、大阪市内のネパール料理店LOVE NEPALさんの協力を得て南アジアの食材専門店とレストランを誘致し、出店しました。三つめの「触」では、その店で毎月ネパール文化に触れるイベントを実施する取り組みです。留学生や沿線の大学生、近隣住民などが集う機会となり、多文化共生型のコミュニティができつつあります。

緑豊かな建物の前の通路で、笑顔で立つ女性 「日本語パートナーズで出会った同期たちは個性的でおもしろい人がたくさんいるので、いまも刺激をもらえる存在です」と宮川さん。
――日本語パートナーズの経験が、現在の仕事に活きていると思うことはありますか?

宮川:異文化交流において必要なスキルは、こちらが100%相手に合わせるのではなく、お互いの着地点を探り合い双方向から歩み寄ることだと実感したんですね。自分が外国人として異国に住んだ時に、現地の人に合わせなければならないと思うと無理をしてしまうこともあります。自分が苦労した体験があるので外国人が日本で直面する困難を理解し、異国に住む外国人と現地の人、その両方の視点で物事を見たり、解決策を提案できたりするようになりました。世界の面白さはさまざまな文化があること.私は異なる文化や考え方があるからこそ、新しいアイデアやイノベーションが生まれると信じています。

――日本語パートナーズ経験者の進路やキャリアパスに関心がある方へ、いま伝えたいことはありますか?

宮川:日本語パートナーズ経験者として、日本語教育の研究者や教師ではなく鉄道会社の社員を選択したことは意外に思われるかもしれませんが、国際交流や多文化共生に取り組む日本の企業は少なくありません。そのような企業の中で国際交流や多文化共生に関する仕事に携わり、「内側から変えていく」役割を担うには日本語パートナーズの経験が存分に生かせると思います。

自然光が差し込む廊下で、笑顔で立つ女性

宮川 凜 愛知県出身。幼少期をアメリカで過ごす。大阪大学外国語学部日本語専攻在学中の2018年に、JFの「日本語パートナーズ」マレーシア4期として1月~10月まで派遣。大学卒業後は南海電気鉄道株式会社に入社し、2023年から共創事業部に配属され、多文化共生促進や地域のエンパワーメントに関わるプロジェクトに従事。2025年に行われた大阪・関西万博には37回訪れ、全パビリオンを満喫したそう。

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